「太陽は神だ」

「太陽は神だ」

ジョゼフ・M・W・ターナー Turner,Joseph Mallord William  <画家>

 十九世紀イギリスを代表する最大の風景画家。学校教育をほとんど受けなかったそうですが、27歳の若さでロイヤル・アカデミーの正会員にもなっています。孤独を愛し、チェルシーの下宿屋に偽名で隠遁生活を送っていましたが、知る人もなく他界。

 主要作品を全て国家に遺贈したため、ロンドンのナショナルギャラリーやテートギャラリーでその多くを見ることが出来ます。ロマン主義の画家らしく歴史的な題材が多いのですが、それ以上に黄色がふんだんに使われた絵が多いことに驚きます。逆に無いのは緑。まぁ、前述のセリフから考えれば当然と言えば当然の仕事といえるでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「私の名前を次の時代のために」

「私の名前と思い出は、思いやりのある演説と、外国人と、次の時代のために伝え残すとしよう」

フランシス・ベーコン Bacon,Francis <政治家、哲学者>

 史上最も偉大な作家と讃えられ、英国人の誇りであるウィリアム・シェイクスピア。実はその正体はフランシス・ベーコンだったという説をご存知でしょうか。シェイクスピア個人の情報が少ないことに加え、あれだけの作品は高度な教養がなければ書けないということで、学術的にも議論されています。

 それはさておき、実際ベーコンの教養は相当なものだったようです。ケンブリッジ大学に学び、弁護士を経て下院議員に。貴族にも列せられ、カンタベリー大主教に次ぐ第2位の大法官にまで上り詰めるというエリートぶり。しかし、収賄のかどで投獄され、晩年は雪の防腐作用の実験をしていたら病気になり死去。

 彼の考えは「知は力なり」と言う言葉に如実に表れています。法則から事実を予見するアリストテレス的演繹法に対し、実験や観察から法則性を発見する帰納法を提唱しました。やがてその思想は、ロックやバークリに引き継がれ、イギリス経験論という大河となっていきます。

 政治家としても、哲学者としても超一流のベーコン。シェイクスピア作品が本当に彼の手によるものだとすると、この言葉にも何か違う趣を感じますね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「ついにくる道」

「ついにくる道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」

在原業平 <歌人>

 六歌仙の一人で伊勢物語の主人公とも言われ、百人一首の「ちはやぶる神代も聞かず龍田川 からくれなゐに水くくるとは」はあまりに有名です。その歌風は「古今和歌集仮名序」によれば「心余りて詞たらず。しぼめる花の色なくて、にほひ残れるが如し」となかなか痛烈な批判もありますが、ストレートに感情が表れていて私は嫌いじゃありません。

 冒頭の歌は病死前に詠んだもの。今風に言うなら「いつかくるって聞いてたけどまさかこんなに早いなんて参ったぁ…」でしょうか。うぅ~ん、ホント「まんま」ですねぇ。

 色好みで有名ですが政治的には不遇だったとか。でも、伊勢物語では伊勢齋宮(巫女さん)恬子内親王に「君や来し我や行きけんと思ほえず 夢かうつつか寝てか覚めてか」という歌まで贈られていますから…まぁイイんじゃぁないでしょうか…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「奴隷に君臨することに飽きた」

「予は奴隷に君臨することに飽きてしまった」

フリードリヒ大王 Frederick the Great <プロシア王>

 アレクサンドロス3世、カール1世、ピョートル1世、アクバル、カメハメハ1世…、歴史上「大王」「大帝」と名前がつく君主は多くありません。政治的な手腕に長け、領土拡大に貢献した人物のみに与えられる栄誉ある称号。

 フリードリヒ2世は啓蒙専制君主の典型で、ヴォルテールに指示し、自らフルートを演奏する多芸な人物でした。同時にオーストリア継承戦争、7年戦争を戦い抜き、プロシアを一躍ヨーロッパの強国に高めました。

 そんな「大王」の最期の言葉がコレ。いかにも尊大な傲慢な彼に相応しいですね。まぁ、いつも時代もそんな強烈なリーダーシップを持った人物の方がむしろ着いていきやすいんでしょうか…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「俺の首を見せろ」

「俺の首を民衆に見せるんだぞ。俺の首にはそれだけの価値があるからな。」

ダントン Geoges,Danton <革命家>

 ロベスピエール、マラーと共にジャコバン派を率いフランス革命を推進したダントンは、革命的独裁と恐怖政治の緩和を要求して経済統制に反対した為ロベスピエールと対立。王政再興の陰謀を口実に告発され、断頭台で処刑されます。断頭台までの道程で、ロベスピエール宅の近所を通る際に「次はお前の番だ!」と叫んだとか。

 マラーは先だって暗殺され、ロベスピエールもギロチンという結末を考えると、なんか血みどろの人間ドラマですよね。革命家のほとんどが天寿を真っ当出来ていない気が…。でも、このダントンのように、苛烈に華と散る生き様もまた、きっと多くの人が嫌いじゃあないハズです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「私が必要なのか」

「大地よ、私が必要なのか。今行くよ。」

ゼノン Zeno <哲学者>

 あの「亀とアキレスのパラドックス」で有名なゼノンとは別人です。古代ギリシアには4つの大きな学派(学園)が存在しました。プラトン創設のアカデメイア派、アリストテレス創設のリュケイオン派、快楽主義として知られるエピクロス派、そしてこのゼノンが創設したストア派です。

 ゼノンは当時の観念論や二元論にとどまらない唯物論的一元論を展開しました。ストア派の思想の細かいところまでは資料がなく分かりませんが、感情的にならず、「今」をより良く生きようとし、命に対してやや非執着(潔さ?)な倫理観はココからきていると言えそうです。ちょっとサムライっぽいイメージでしょうかねぇ。(・x・) 学園から帰るとき転倒したゼノンは、高齢であるなどの理由からこのセリフを吐き、自らの首を絞めて息を引き取ったと言い伝えられています。…スゴイですよね…∑(゜ロ゜;)

 ちなみに、禁欲的な意味を表す「ストイック」という言葉はこのストア派からきており、この「ストア」という言葉はゼノンがアテナイの彩色柱廊(ストア・ポイキレ)からきています。この言葉の意味の変化も興味深いですよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「よろしい」

「よろしい(セ・ビアン)」

ジイド Gide,Andre <作家>

 有名な「背徳者」「狭き門」など、厳格な清教徒的環境で育ったジイドの作品には、聖書の影響が至るところに見て取れます。しかし、やがてこれを脱し、同時に清教徒的道徳に反した作品も書くようになりました。共産主義への転向までも宣言しましたが、ソ連旅行の際にその画一主義を目の当たりにし、ソ連批判を前面に打ち出すこととなります。

 ジイドは死の直前まで頭が冴えていたそうです。そして臨終の床の周りに集まった人たちにこのセリフを呟いて息絶えました。 ノーベル文学賞受賞者の一言ですから、ここにも何かしらの含蓄があるように感じますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「残る桜も散る桜」

「散る桜 残る桜も 散る桜」

良寛 Ryokan <僧侶、歌人>

 子供好きで有名な「良寛さん」は越後出身で、漢詩や書も能くしました。お酒もガンガン(?)飲んだようで、その親しみやすい人柄は現代でも大変人気があります。この句も、桜の潔さや儚さ、そして一瞬の美しさを人生に例えた素敵な句ですよね。辞世については諸説あるようで、他にも…

「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」

「形見とて 何かは残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉」

などが知られています。まぁ後者は道元の『傘松道詠』の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すすしかりけり」が元歌でしょうから、死を目前にした言葉ではなさそうです。死の直前に出た言葉の一説には「阿(あ)」というものもあります。また「死にとうない」と言ったとも伝えられていますが、コレは一休さんがそう言ったという説もあり、やや信憑性に欠けますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「戦って死んだ方がましだ。」

「奴隷となって生きるより、戦って死んだ方がましだ。」

サパタ Zapata,Emiliano<革命家>

 ディアスによる独裁政治に対するメキシコ革命の指導者の一人。マデロの武装反乱を支持して蜂起しましたが、やがてマデロと対立。土地改革を目指す「アヤラ・プラン」を発表します。後のメキシコ45代大統領カランサの将校の計略によって暗殺されました。

 革命児らしい、峻烈な言葉を遺したサパタ。今でも彼はメキシコの国民的英雄です。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

「私は真実を愛している。」

「私は真実を愛している。…とても…愛している。」

トルストイ Tolstoi,LeoNicolayevitch <作家>

 「戦争と平和」「イワンの馬鹿」「アンナ・カレーニナ」などで知られるロシアの誇る大文豪。第1回ノーベル文学賞も確実視されていましたが、反戦論・非暴力主義を唱え「愛で世界を救う」的な思想がアナーキズムと捉えられ、惜しくも受賞を逃しました。晩年の作品「復活」は、ロシア正教会の教義に触れたせいで破門宣告を受け、現在も破門は解かれていません。

 なかなかアグレッシヴな作品を生み出したトルストイですが、家庭内でも問題を抱えていました。後にトルストイ主義とも呼ばれるキリスト教的人間愛と道徳的自己完成は、作家の執筆が虚名を求める非生産的仕事であるという結論に行き着いてしまいます。そこで彼は財産を農民に分配すると言い出します。(トルストイ自身は伯爵であり大地主) ビックリしたのは妻ソーニャと11人の子供。贅沢な暮らしを棄てて無一文になろう、と一家の大黒柱が言い出したら、まぁ誰だって「ちょっと待った」と言いたくもなります。結局、そのときは今の生活を続けることにするのですが、トルストイはこの理想と偽善的生活を送らざるを得ない現実の狭間で悩み続けるのです。そして、遂に末娘サーシャと弟子セルゲイを連れて『家出』。途中の汽車の中で急性肺炎になり、アスターポヴォの田舎駅の駅長官舎で寝込んでしまいます。死を前にして、トルストイの元には家族をはじめ、大勢の人が集まりました。彼は苦しそうに「この世には幾百万という人がいるのに、何故皆さんは私一人に関わるのか」と弟子セルゲイに言ったそうです。そして83歳で不帰の客となりました。

 実より名が先行する芸能人の「オレに構わないでくれ」的な発言は、逆に本当に構われないと仕事にならないという矛盾に満ち満ちています。または自分のやりたいことや恋愛事情を優先し、支援者を無視した突然の引退。どちらでも構いませんが、彼のように後世にまで残る偉業を成してからの行動と比較すると、極めて稚拙で矮小な感を受けるのは私だけでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

「また会えるんだから」

「さようなら愛しい人。じゃあまた、と言っておこう。また会えるんだから。」

トウェイン Twain,Mark <作家>

 「トム・ソーヤーの冒険」でご存知のこのトウェインという名は本名ではありません。サムエル・クレメンスという男が駆け出しの記者時代、ミシシッピー川の水先案内人で筆の立つ男が「By the mark,twain」から採ったマーク・トウェインというペンネームで寄稿していました。後年、この水先案内人が亡くなったことを知ったクレメンスが、このペンネームを継承したと言われています。

 自然を愛し、物質文明に異を唱えて社会風刺に筆をふるい、晩年は人類に絶望した悲観的な人間観を抱いていたとのこと。ただウィットに富んだ精神は晩年も冴え渡り、死の床に伏したトウェインを見舞いに来た人々にこの言葉です。洋画の吹き替えのような、アメリカンなセリフ。「HA,HA,HA!」という大味な笑いが続きそうですね。ウィリアム・フォークナーは彼を「最初の真のアメリカ人作家」と称したそうですが、確かにいかにもアメリカ的だ、と感じるのは私だけでしょうか?

 トリビアルな知識ですが…、トウェインはハレー彗星が地球に接近した年に生まれ、75年ぶりに再接近した年に他界しています。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「神様が私をお見捨てになりませんように」

「神様が私をお見捨てになりませんように」

パスカル Pascal, Blaise <哲学者、数学者、物理学者>

 わずか十六歳で『円錐曲線論』を唱え、『パスカルの定理』をも発見した早熟の大天才。また、瞑想録『パンセ』の中の「人間は1本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である」という言葉でも有名ですね。

 パスカルは卓越した科学的知性の他に、極めて瞑想的・神学的知性をも兼ね備えていました。彼の人生は、「小さい頃から神童扱いされてきたバリバリの理系クンが、勉強してもちーっとも心が満たされないことに気付き、理性では解明できないことを信じることにした」という、スケールの差こそあれチョットどこかで聞こえてきそうなモノ。実際、1654年ポール・ロワイヤル修道院の客員になり、イエズス会、ローマ教皇庁と対立する宗教運動(ジャンセニスム)に身を投じ、理性に対抗する「信仰」を強く弁護し執筆活動を行っています。

 TVでよく目にする「科学絶対信奉者vs非科学的現象肯定者」といった図式での討論も、お互いに逆の立場になって、自分自身がソレで幸せかという観点で考えると、もぅ少し寛容な結論が導き出せるかも知れませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「まだ上達している」

「まだ私は上達している…」

ルノアール Renoir,Auguste <画家>

ルノアールは貧しい裁縫師の家に生まれました。陶器の絵付け職人の徒弟となりますが、やがて画家を目指しロマン派的絵画を描くようになります。その後はご存知のように印象派に転じ、多くの傑作を残しました。

次男で映画監督のジャン=ルノアールの著書によると、ルノアールは常々「絵は見るものじゃない、一緒に生きるものだ」と言っていたとのこと。彼の作品がどこかしら『優しさ』を感じさせるのも頷けますね。フランスよりも日本での評価が高いそうで、非常に沢山の愛好者がいます。

代表的な作品はこちら → http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-imp2/IPA-impression2.htm (インターネット美術館)

画家を含めた芸術家・求道者は、「自分が完成した」と思ったその時点で成長は止まります。ルノアールは晩年車椅子生活で、また視力も極端に落ちた状態で制作を続けていたそうですが、このセリフからすると芸術に対する情熱は衰えなかったようです。最期まで精一杯ひとつのことを追い続けた、カッコいい生き様だとは思いませんか。

| | コメント (1) | トラックバック (3)

「やっと眠れる。」

「眠れる。やっと眠れる。」

アルフレッド・ド・ミュッセ Musset, Alfred Louis Charles de <詩人>

ロマン主義作家ミュッセは名門貴族の出身で、また容姿や感受性にも恵まれ、若くして社交界の寵児になりました。放蕩生活を送っていたようですが、やがてフェミニストとして知られる女流作家ジョルジュ=サンドとの恋に破れます。その後は古典主義的な作風へと変化しますが、やがて創作意欲も薄れ、孤独のうちの世を去ることになりました。

今風に言えば、「イイとこのボンボンで、しかも知的なイケメン」でしょうか。そりゃあモテて当然でしょうね。でも結局は孤独な死。。。傍目には羨ましく映った彼の人生は、もしかしたら生への苦悩に満ち満ちていたのかも知れません。

ミュッセの言。「男はすべて嘘つきで、浮気で、にせもので、多弁で、高慢で、卑怯者で、見下げはてた奴で、欲情の奴隷だ。女はすべて裏切り者で、ずる賢くて、虚栄心が強く、物見高く、性根が腐っている。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「何もかもが狂っていたんだ」

「愛しい君よ、何もかもが狂っていたんだ」

アーノルド・ベネット Bennett, Enock Arnold <小説家>

現代英文学の最高峰とも讃えられるアーノルド・ベネットの人生はなかなかユニークです。英国の貧しい田舎町で生を受け、ロンドンのとある法律事務所に入りましたが、ジャーナリズムに関心を持ち、遂には婦人雑誌の編集者になります。その後小説を志しフランスへ。第一次大戦後の代表的な小説家になりますが、1931年パリの水は飲んでも安全であるということを証明しようとして、その水が原因で腸チフスになって死亡しました。

エッセイスト、評論家としても名高く、格言・名言を数多く残しています。そして最期にこのセリフ。。。う~ん、流石に「深い」ですね…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「夢のまたゆめ」

「露とほち露と消えにし我が身かな 難波のことも夢のまたゆめ」

豊臣秀吉 <戦国武将、太政大臣>

 出世人の代名詞のような秀吉の晩年は、それはもう権力をカサにやりたい放題で、いつも非難に晒されることとなっています。まぁ世間でも「そういうこと」になっていますし、専門家でもないので別段かばう知識は持ち得ていません。

 が。この辞世…、どうでしょう、この儚さ、無常感。中国の故事、『邯鄲の夢』を連想させます。当時から様々な陰口を叩かれているとに気付かない秀吉ではないでしょう。それでも尚、敢えて愚挙に出るのは、日頃からこのように浮き世を達観視していたからかも知れませんね。

 もし仮に自分が秀吉だったらと考えてみて下さい。バリバリ働いて出世して栄華を極めて…で、何をしますか?クダいて言うなら、テレビゲーム(RPG)でボスキャラも倒し、レベルもMAX、お金もものすごぉ~くあったら、ということです。人々に後ろ指を指されつつも、「1度きりの、夢のようでゲームのような儚い人生、楽しまなきゃソンソン♪」と、気の向くままに好き放題やってみる気持ち、私は分からないでもありません。(・x・) 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「盗人の種は尽きまじ」

「石川の浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」

石川五右衛門 <泥棒>

 伝説の大泥棒は秀吉の命を狙い捕らえられます。死刑が決まると、役人から2つの処刑法から選べと言われました。1つは「打首獄門」。(=公開斬首プラス晒し首)もう一つは「市中引き回しの上釜茹で」。(=馬に乗せられ、更に罪状を書いた高札を掲げさせ市中を歩くプラス釜茹で)五右衛門は後者を選びます。

 そしていよいよ処刑の日。天下の大泥棒の最期を一目見ようと、刑場の三条河原には大勢の人が詰め掛けました。皆の注目を集めたところで、大きく息を吸い込みこの辞世の句。いやぁ~流石の幕引きですね。戒名は融仙院良岳寿感禅定門、かなり破格の待遇だそうです。

 義賊として名高い五右衛門ですが、そのエピソードは必ずしも美談ばかりではありません。伊賀忍術の祖と言われる師匠百地三太夫の妻と密通したばかりか、その妻に誑かされて三太夫の妾まで殺してしまいます。釜茹での際には、あまりの熱さに一緒に刑に処せらた自分の子供を下敷きにしたとも言われています。う~ん…、なかなかのダークっぷりですねぇ。まぁ南禅寺の山門にて「絶景かな、絶景かな。春の眺めは値千金とは小せえ、小せえ。」と言うくらいの大人物ですから、後世で何と言われようとも気にはしていないかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「こんな骨董品…。」

「こんな骨董品、大事にしなくていい。」

ショウ Shaw,Bernard <小説家、劇作家>

ノーベル文学賞受賞者。英国ではシェークスピアに次いで作品の上映回数が多いという劇作家でもあり、またフェビアン協会に所属する社会主義者でもあります。しかし、私達には何より「皮肉屋」としての彼の方が馴染みがありますね。彼の名言の一つ、「事実は小説よりも奇なり」はあまりにも有名です。

一生独身で、菜食主義者。その生き様は反骨精神に満ち溢れています。息を引き取る前、付き添いの看護婦に上記のセリフを言い放ち、この骨董品は95年間の人生に幕を下ろしました。

…個人的にこういう「美学」に生きた人って大好きです♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「あの世はとても綺麗だ。」

「あの世はとても綺麗だ。」

エジソン Edison,Thomas <発明家>

 白熱電灯、蓄音機、タイプライターなどの発明で、「世界の発明王」として知られるエジソン。ゼネラル・エレクトリック(GE、世界最大の複合企業)の創始者という顔も持ち、特許を巡る訴訟問題で常に悩まされていたそうです。「電灯を発明したが、40年間訴訟にしばりつけられ、全然利益がなかった」とは彼の弁。

 一方でオカルト的なものにも興味を持っていて、後半生は死者と交信する為の電信装置を研究していたそうです。この最期の言葉は、物欲にまみれた“汚れた”現実世界からの脱却を意味するのかもしれませんね。

 「自動車王」ヘンリー・フォードは生涯の友人で、彼の死期にも立ち会っています。彼の死後、全米ではその死を弔う為に1分間電灯が消されました。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

「面白きこともなき世に面白く」

「面白きこともなき世に面白く 住みなすものは心なりけり」

高杉晋作 <長州藩士>

 ご存知、吉田松陰に学び尊攘倒幕を展開、英公使館を焼き討ちし、農民を兵士として鍛えた奇兵隊を組織しました。わずか1,000の兵で20,000の幕府軍を破り、小倉城を落城。さあこれから、というときに病に倒れます。「…面白く」までは詠んだが息が続かず、傍にいた野村望東尼が続きを詠んだと言われています。長刀を好み、「動けば雷鳴の如く発すれば風雨の如し」と伊藤博文に言わせしめた稀代の快男児は、27歳と8ヶ月で太く短い生涯を終えました。その激しく真っ直ぐな生き様とは違って、少し斜に構えたこの歌は、聞く人に不思議な物悲しさを感じさせますね。

 松下村塾の双璧と謳われた久坂玄瑞の辞世はこちら。

「千早振るひとの醜業かかるかと 思えば我も髪逆立ちぬ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「とどめ置かまし大和魂」

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも とどめ置かまし大和魂」

吉田松陰 <長州藩士、教育者>

 佐久間象山に洋学を学んだ松陰は、萩で松下村塾を開き、尊皇攘夷の志士達を育成しました。松陰は、脱藩、密航、そして老中間部詮勝暗殺未遂と三度獄につながれています。その三度目の獄中、奉行の「流罪」の判決は『安政の大獄』により「死罪」へと変わります。

 松陰は死罪執行までの26日間で「留魂録」(このネーミングもスゴイ…)を書き上げ、この歌を冒頭にしたためました。享年29歳、江戸伝馬町で斬首。「至誠」をモットーとし激動の世を駆け抜けた松陰の、アツイ魂の歌です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「幕を下ろせ。」

「幕を下ろせ。茶番劇はお終いだ。」

ラブレー Rabelais,Francois <聖職者、作家>

有名な「ガルガンチュア物語」は教会の風刺を多く含んでいた為に禁書になり、ラブレー自身も処刑されかかったそうです。後に司教職を辞任。医学博士でもあり、かなりの博学だったことも伺えます。彼の人生訓は「笑うことは人間の本性である。楽しく生きよ!」 そんなラブレーのこのセリフ。何か含みを感じずにはいられませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「でも私は神を信じない。」

「でも私は神を信じない。」 

ローゼンベルグ Rosenberg,Alfred  <政治家>

 ナチス党員。一時期は党の代理総裁まで務めたそうです。ナチスの、あのアクの強いメンバーの中では少し影が薄いですね。ニュルンベルグ裁判では死刑を言い渡され、絞首刑に処せられる前に牧師に「言い残すことはないか」と言われたときに彼はこう答えたそうです。

 参考までにナチス幹部の最期を記載しておきます。

ヘルマン・ゲーリング : ヒトラーに次ぐNo.2。人口ヘソやマニュキュア、宝石を身に付け、美術品を収集しまくった国家元帥。絞首刑ではなく銃殺を上告したが拒否された。死刑当日独房で服毒自殺。

ルドルフ・ヘス : 副総統。対ソ直前、単独でイギリスに飛行機で行き和平を唱えるが捕らえられる。あのロンドン塔に拘留された最後の人物。幹部の中で唯一の終身刑。だが93歳で監獄内で自殺。

ヨーゼフ・ゲッベルス : 宣伝大臣、首相。プロパガンダの任を一身に受け、女性関係の派手な「博士」。足が不自由でいつもびっこを引いていた。ヒトラーの自殺を見届け、後を追ってピストル自殺。

ハインリヒ・ヒムラー : SS最高司令官、内務大臣。ユダヤ人大量虐殺は彼の指揮。和平交渉を企むがヒトラーにバレ、全権剥奪され逃亡。連行された収容所で奥歯に隠していた青酸カリで自殺。

マルティン・ボルマ : 総統秘書長、党官房長官。ヘスの単独飛行、ヒムラーの和平交渉後に権力を掌握。裁判は彼が不在のまま死刑を宣告されたが、それ以前に服毒自殺していた。

ヨアヒム・リッベントロップ : 外務大臣。独ソ不可侵条約、日独伊三国軍事同盟を結んだ人物。絞首刑に処される最期の言葉は「神よドイツを守りたまえ」であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「新生だ。」

 「新生だ。」 

北原白秋 <詩人、歌人>

 異国情緒溢れる詩集「邪宗門」、歌集「桐の花」などで有名ですが、同志社大学や駒澤大学の校歌、さらには民謡・童謡をも書くなど、大変多彩な方だったようです。耽美反逆デカダンを語る文芸サロン、「パンの会」に属していました。

 そんな白秋の、しかも晩年は失明状態だった上でのこの言葉は、何かとても神秘的で呪術的な印象を与えてくれますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「それで良い。」

 「それで良い。(Es ist gut.)」 

カント Kant, Immanuel  <哲学者>

 哲学を少しでもカジッた人なら「おぉ~」と唸ってしまいそうな一言。英語にすると「It is good」。死の間際、弟子のワジアンスキーが水で薄めたワインを何回か飲ませると、カントは聞き取れるか聞き取れないような声で、こう呟いたそうです。

 イギリス経験論と大陸合理論を結びつけ批判哲学を展開、ドイツ観念論の祖と言われる大哲学者カント。「宇宙に終わりはあるのか」など、誰もが素朴に持つ疑問に1つの答えを出してくれました。一方で一生独身であった、規則正しい時間に散歩をするので人々は彼の姿を見て時計を直していた、などのエピソードも枚挙に暇がありません。そんなカントの最期の言葉ですから、ワインでお腹一杯になって(若しくはワインが美味しくて)、gutと言ったとするよりも、自身の人生や哲学、世界観の総括として出た一言と考えたいですね^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「もっと、光を・・・」

「さあ、よろい戸を開けなさい。光をもっと、光を・・・。」 

ゲーテ Goethe,Johann <詩人>

 ゲーテの本を読んだことがなくても、この言葉 “Mehr Licht.” は知っているという方は多いですよね。ゲーテは『若きウェルテルの悩み』などの小説で「シュトルム・ウント・ドラング(疾風怒涛)」という文学運動を起こしただけでなく、政治、自然科学などにも造詣が深い知識人だったそうです。(ちなみに製菓会社「ロッテ」は、この『ウェルテル』のヒロイン、シャルロッテから)

 存命中も、そして今も尚人々に影響を与える続けるゲーテ。死を目前にした病人が、「戸を開けて光を浴びたい」という自然な望みも、そんなゲーテの言葉と思えばこそ一味違った趣を湛えます。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「ブルータス、お前もか!」

 人は生きてきた様にしか死ねない、という言葉をどこかで聞いたことがあります。そしてその今わの際に発した言葉は、得てしてその人の人格・功績を表すことが多いようです。私は以前から古人の「最期の言葉」に興味があり、関連する書物を集めていました。その中から毎回少しずつ興味深い言葉を紹介させて頂きます。

 Swan Song =白鳥は息絶えるときにことさら美しい声で啼くと言われます。転じて「最期の名言」の意味で訳されます。

「ブルータスお前もか!」 

カエサル(シーザー) Caesar,Julius <ローマ政治家・軍人>

 正直「あの英雄がコレかよ~」って今になると思います(^^;) カエサルは強国パルティアに出征する前の会議で、元老院派の共和主義者達に刺殺されました。その一味の中に可愛がっていたブルータスの姿があり、こう言い放ったと言われています。「お前も」というあたり、結構猜疑心が強かったのかも知れませんねー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)